【CAFUNÉ】

おしゃかなべいべーな日々

むかしのこと

高校生の時私は死にたくて死にたくて仕方がなかった。
優しかった母は更年期に入って家に帰るとどうしてもぎすぎすしたし、
父とは小学生の頃からほとんど口を聞いていなかったし、
この先なにか良いことが起きるなんてこれっぽっちも思えなくて毎日しんどかった。
 
母方の家系は持病持ちで、
小さい頃は皆勤賞が当たり前で風邪も殆ど引かなかった私も小学校を卒業する前には発症した。そんなに重い病気ではないけれど、疲れやすく、免疫力も下がるため学校を頻繁に休むようになった。
 
持病のせいで疲れやすかった私は中学に入って一週間が経つか経たないかで保健室へ行くようになり一日一回は授業を休んだ。休憩を挟まなければ7限まである授業を熟すことは私には難しかったのだ。
疲れているとき私は空元気になった。iPhoneが残り1%の時にそれまでの減りが嘘みたいに意外と長く持ってくれるあの感じで最後のエネルギーを全部無理に引っ張ってくるからハイテンションの笑い上戸と化した。そしてエネルギーを使い果たすと座っているのさえ耐えられないくらいの疲れが来るのだ。
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それが周りには理解されなかった。さっきまであんなに元気だったんだからズル休みに決まってる。と休んでいる間に言われているらしかった。
一日一回授業を休むだけでなんとか越えられる週もあれば、一日フルで休まなければ週を越せない週もあって、大体2週間に一日くらいの頻度で学校を休むようになった。
ある時、休みの日に友達とお泊まり会をした。
お泊まり会は楽しかったけど、人とずっと一緒にいたせいで友達が帰った後一気に疲れがでて寝込み、月曜日休んだら母に「遊ぶのは構わないけど、遊んで学校行かないなら遊ばせない。楽しいことだけしてれば良いのか?」と叱られた。
それを聞いた時悔しくて悔しくてたまらなかった。
 
授業を休むめば不利益を被ってるのは私だ。なのに授業を休まなくてもやってけるような恵まれた人たちに陰口を叩かれていること、遊びたくても遊ぶ体力がないし体調を崩せば叱られるのだと思うとなにもできないことにも腹が立ってやってられなかった。
 
自分が人と並んで生きていくには
人の数倍苦労しないといけないのかと思うとやるせない気持ちになった。
 
母の言いつけを守ってるのにどうしてこんなに否定されるのか、
愛してくれる父のことをどうして愛せないのか、
努力してるのにどうしてこんなに生きづらいのか
どうしようもできなくてため息ばかりが口をついた。
 
とにかくわたしは生きるのが不器用だった。
 
高校時代の写真はどれも目が笑ってなくて楽しくなさそうだ。
 
でも、大嫌いだった学校を抜けて、窮屈だった家を出て
一人で暮らし始めたら全てが楽になった。
そこがわたしの居場所じゃなかったんだってことに気がついた。
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幸せなんて主観だからっていうのが高校時代のわたしの口癖で
そのころは幸せになるために勉強しようが言いつけを守って窮屈な思いをしようが
結局は自分勝手にわがままに生きてる厚顔無恥な人間が幸せな思いをして生きてくんだって思い込んでなんだよそれと思っていた。
 
でも今になってみると、それこそ主観なんだからいくらでも変えられるんじゃん。
それって最高じゃんと思える。
幸いなことに地球は広い。いくらでも人も場所も文化もある。
自分に合わない所なんかイチ抜けたしてしまえば良いのだ。
逃げてしまえばいい、責められたってその人がわたしの人生生きてくわけじゃないんだし
どうせみんな死ぬ。楽しんで生きたもんがちだ。