【CAFUNÉ】

おしゃかなべいべーな日々

LGBT就活をビジネスにしている会社に思うこと

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2016年頃以降、LGBTという言葉がブームになり、言葉の広まりによってセクシャルマイノリティーの存在が世間に認識されるようになってきた。

その関心の高まりは、例えば東京レインボープライド(セクシャルマイノリティーへの差別や偏見を無くし、それぞれが前向きに生きられる社会の実現を目指すイベント)が年々規模を拡大し、昨年には過去最高の約20万人が来場し、278の企業・団体が協賛したことを見れば明らかだ。

しかし、LGBTに市場価値を見出し、ビジネスに組み込もうとする人々はしばしば間違いを起こす。

数年前、「LGBTは子供を持たず、共働きカップルが多いから可処分所得が大きい。だから5.9兆円の巨大市場だ」といった不可解な言説が出回っていた。

これは知識人や専門家たちによってはっきりと否定されたが、今でもLGBTビジネスといったものを見かけることがある。

つい先日、勤務先にてLGBT向けの求人サイトの運営会社と弊社の打ち合わせの場面に出くわしたのだが、運営会社側の無神経さに唖然としてしまった。

運営会社側は登録企業が増えることで収益が上がるので、多少の配慮をするだけで給与待遇を上げずにリテンション率の高い人材を得られる、と人手不足で困っている会社に触れ込もうと考えている様子だったのだ。

あるタクシー会社のLGBT施策で、トランスジェンダーの中途社員が入り、一般採用と比較して長く勤務したことを成功例として「定着率の低い業界でもLGBTをターゲットにすれば継続が見込める。」と発言していた。

まったく的外れな意見だ。

マイノリティに対して施策を打ち、環境を整えることは求人への応募数やリテンション率に良い影響を及ぼすだろう。しかし、大事なのはLGBTに限らず"立場の弱い属性の人への知識に基づいた環境整備”であり、言われてから対処する口先だけの”多少の配慮”ではない。

LGBT向けの求人サイトが必要な理由は何か

異性愛者の男性と女性しか社会に存在しないとする性別二元制社会であること

・マイノリティへの差別と偏見が根強いこと(ホモフォビア)

・男性中心の社会で女性差別的な言動が許容されていること(セクハラ)

・結婚や子供をもつことは当たり前であり、適齢期に結婚に向けた行動することは義務に等しいという考えをもつ人が少なくないこと(リプロダクティブ・ヘルス/ライツの侵害)

・助けを求めたくても、味方が職場にいない可能性がある(allyの不在)

・女性だから/男性だからという決めつけをされ、自分らしくいられないこと

・規定の制服しか着られないなど、見た目やふるまいに対して性別による縛りが存在している

・パートナーやパートナーの家族の死亡の際に忌引ができないなど、制度の枠組みから漏れる場合が多いこと

 

などなど、LGBT当事者でなくても避けたい様々な問題が、現在の社会には存在しているからだ。

異性愛前提の社会では人も制度も守ってくれないため、マイノリティは自分一人でも生きていけるよう自立して生きていくしかないのだ。

だからこそ、マイノリティの目はシビアである。

”配慮します”と言ったからといって、簡単に応募は殺到しないし、他と比較して給与待遇が低ければ選ばれないだろう。

しろクローゼット(LGBTであることを隠して生きる)の人々には警戒され避けられるかもしれない。

 

私も数ヶ月前に一度、LGBT向けの求人サイトを利用したことがある。

職場の人と話を合わせるために、自分の同性の恋人をいないことにしたり、異性であることにしたりすることや、周りの人の何気ない性差別的な発言にげんなりさせられるのに疲れたため、理解のある職場を選ぶことでそのようなストレスから開放されたいと思ったのだ。

しかし、人事面談で出たのは「LGBT向けの求人サイトからの応募ということはあなたはLGBTのどれかですよね?どれですか?」と言う不躾な質問だった。

驚いたが、配慮のために把握したいのだろうと思ったのでレズビアンだと告げると、たくさんの配慮が必要なトランスジェンダーじゃなくて良かったという風に安堵されて、一瞬にしてわずかに残っていた期待は裏切られた。

セクシャリティはオープンにしなければいけないものではないし、自分がマイノリティであることを知られることは、差別や偏見による攻撃を受ける危険がある。

また、配慮は社会の側に問題があるから必要なのであって、マイノリティには全く非はない。

指揮官である人事でさえそういった基本的なことを理解していなかったのだ。

LGBT向けの求人サイトはいくつも存在していて、マイノリティーが働きやすく、生きやすい社会にするために真摯な運営をしている所もある。

しかしブームには悪い側面もあり、理解をせずに乗っかろうとする輩が出てきてしまうことは避けられない。

こういった迷惑な企業によって、LGBTは扱いにくい、LGBTの採用はコスパが悪いといった間違った意識が醸成されないかがとても心配である。

 

インターネットの発達により、瞬く間に人々の価値観はアップデートされていっている。配慮はLGBTだから必要なのではなく、現状の仕組みが男性中心の古い価値観(ここでの男性は、高度経済成長時代の男性観のことであり、雇用主にフルコミットしてなんぼのただの労働力として見られていた男性のこと)でたくさんの問題を抱えているから必要であるということに早く多くの企業が気付くべきだ。

これから先、一人ひとりが生きやすく働きやすい環境作りにコストをかけられない企業からは人がいなくなり、業績も落ちて淘汰されていくだろう。というか、社内の人間すら大事にできない企業は社会にとって害でしかないので、一刻も早く滅ぼしたい所存である。

家出のその後

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元日に家出をしてから1ヶ月以上が経った。

(家出の経緯についてはこちら)

東京に帰ってきてから、色んな人が声をかけてくれて

話を聞いてくれたり、慰めの言葉をかけてくれたり、

知恵を貸してくれたりしてくれた。

 

中でも一番心が救われたのが、

親と絶縁した経験のある友達から言われた

「自分の心の居場所がどこかを理解するようにしたほうが良いよ」というアドバイスで、

小さいときからかけられ続けてきた親の言葉は、

呪いのように強いから、考えに考え抜いて勇気をもって決断しても

親の刷り込みによって気持ちが揺れてしまう。

だから、どこにいたいか誰と居たいかを思い出すことが大事だよというものだった。

 

実際、必死の思いで家出して東京まで逃げてきたのに、

その当日に家までの電車に揺られながら、"戻らなければ""私は間違っている"と

自責と後悔の波が来て苦しくなっていたので、

友達からのこの言葉で波が来てもかわせるようになってとても救われた。

今でもたまにつらくなってどうしようも無くなる時はあるけど、

彼女と一緒に幸せに生きることだけを考えられるようになったから、

これまでのどの時よりも心が軽くて、生き生きと日々を過ごせるようになってる。

 

家出の三日後に、母親から年賀状が届いた。

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これは、大晦日に突然年賀状を書きたいと言い出した母のために

私が何軒も店を回って手に入れた年賀はがきなので、

書いたタイミングはわからないけれど

少なくとも投函したのは私が家を飛び出した後だとわかる。

罵詈雑言を浴びせて、怒鳴って否定した後に

こんな手紙を送れる神経がさっぱりわからずぞっとした。

 

その後、1月の2週目の火曜日に

東京に住む叔母が私のマンションにやってきて

とても話せる心境ではなかったし

引っ越しのダンボールを見られたら新しい住所をしつこく聞かれることが目に見えていたし

何より、半同棲の彼女を真冬のベランダに隠すわけにもいかないので

呼び鈴にも応じず、部屋の電気を切って、ドアチェーンをかけて

面会謝絶の意を表したのだけど、全く通じず

母に言われて渡していた合鍵で

オートロックを開けて部屋まで来て、何度も何度も何度も呼び鈴を鳴らし続けて

アチェーンのせいで入れないドアの扉を

開けたり閉じたりバタンバタンと大きな音をたてて

借金の取り立てのようだった。

 

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20時半に来てからずっとこの調子で、マンション中に響く騒音をたて続けて

1時間後の21時半に帰っていった。

それから数日間、帰ったら叔母が部屋で待っているかもしれない

また、夜に来て怒涛のピンポンとドアバタンバタンをやられるかもしれない。

という気持ちで家に帰るのが怖かった。

 

幸い、その週の土曜日に引っ越せたので、

親族の誰も知らない、安全なところへ身を隠すことができた。

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引っ越してからは家族と完全に縁を切るために

役所や警察署、女性人権センターに通って手続きを進めた。

そんな中、前の物件の管理会社から電話が来て

出てみたら、母が管理会社に対して物件の退去時の立ち会い日を教えるように

幾度となく連絡をしていて、個人情報なので伝えられないと断ると母なのになぜ教えられないのかと語気を強め、声を荒げてしまうので困っているとのことだった。

ご迷惑をおかけしていることが恥ずかしくて

これ以上担当さんの仕事を増やすようなことはしたくないと思ったけど

立ち会い日に押しかけられたら身を守れる自信がなかったので

担当の人と警察署の方に知恵を貸していただいて様々な案を練った結果

親が来れないであろう直近の平日の朝イチに立ち会いを行うことにして

無事に済ませることができた。

 

叔母が部屋に押しかけてきた日以降

親だけでなく、親族全員の電話やLINEをブロックして

連絡が取れないようにしていたので

誰からの連絡も知らずに済んでいたのだけど

ある日PCを開いたら、なぜかショートメールだけはPCに届いていることに気付いてしまって、

叔母や母からの執拗な責めの言葉が目に入った。

 

メッセージの一部(下から上に読んでください)

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↑叔母からのもの。

家族ラインでしかカムアウトしてないのに、叔母にアウティングされている。。

 

↓母からのもの(マミィ:祖母 翔:私の弟)

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論点がぐちゃぐちゃで

留学の件は年末に否定されたのに行かせようとしてきたり

家を出るなら学費を返せと言ったり

懺悔しているのかと思ったら

ただの嫌味だったり

端的に言ってこのメッセージは"吐瀉物"

 

確かに大学まで行かせてもらったのは有り難いとは思うけど、

実父と結婚したことも、産んだことも、離婚したことも、再婚したことも、私に習い事をさせたことも、中学受験をさせて私立の進学校に行かせたことも、指定校推薦で私立の大学に行かせたことも、全部母が決めたことなのに、全ての責任を私に求めるのはめちゃくちゃすぎる。

百歩譲って、養育費将来的に返済させるつもりなら

最初からそう言ってくれれば違う選択をしたのだけど。

母は再婚相手のことしか考えられてなくて、

養育費を返せと言うのも、母の連れ子のために養父となって

養育費を出してもらったのに、連れ子が騒動を起こして顔向けできないから

私に責任を負わせようとしているだけなんだろうと思う。

養父からの虐待について伝えたのに、娘の心身より自分の夫のことが大事で、

夫婦関係を守るために保身に走っているようにしか見えない。

それはそれでいいので、頼むから放っておいてほしい。

 

ー彼女のお母さんに、私の母がアウティングした事件と

その日の夜の母との電話、祖母との電話については別日に書きますー

 

 

 

 

 

 

 

2020年、幕開けの家出

元日の夜明け前のバスに乗って空港へ向かっている。

12月からライン上で母親からの一方的な攻撃が始まって、

鎮火していない状態での14日間の帰省には

はじめから大きな不安があったけど、

やっぱり無理で途中で切り上げて逃げてきた。

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私の家族はみんな問題を抱えていて、

今までの22年間、何度もつらいことがあって、

つらいことの中でも死んでしまいたくなるほどの絶望感を味わうことも何度もあった。


それでも私は死ねなくて、

家を飛び出して身一つで生きていくことの難しさもわかっていたので、

自分で生きていけるようになるまで

不条理なことに耐えることにしてこれまでやり過ごしてきた。


絶縁したいくらいの気持ちはあったし、

しても許されるほど沢山傷つけられてきたけど、

それでも、親や親族への恩もあるし

どこの家庭にも問題はあって、ぶつかりながらも上手くやってるんだろうから

すこしずつちょうどよい距離感にしていこう、と思ってた。

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私の長年の理想としては、

大学進学で上京してまず親元から離れ、

地元以外の土地での就職を決めて

大学の卒業式で親の望む”感謝”を伝えて、

ゆっくりフェードアウトしていく

というのをゴールに考えていたけど、


ゴールまであと一歩というところになって大波乱が起きて、

これ以上は耐えられないし、

我慢してまで付き合いをもって孝行する必要なんかない、と思って飛び出してきた

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小学二年生の時に義理の父親との間に確執ができて、

そこから父親と二人っきりになることも

近付かれることも、怖くて意図せずとも心身が拒絶するようになった。

でも、母としては一度目の結婚は上手く行かなかったけど、

二度目こそは幸せな家庭を築きたいという強い意気込みがあって

だからこそ私が義父に無愛想にすることが許せなくて、何度も何度も注意を受けた。

そして母からも母方の祖母からも決まって言われるのが、

「あなたがこの人が良いといったから結婚したんでしょう」と

「本当なら養う義理もない連れ子のあなたを

養女にして学校に通うお金も出してくれてるんだから感謝しなさい」

という言葉。

大学まで行かせてもらえたのは感謝するけど、

それは子どもに追わせる責任でもないし、

子どもにかける言葉として大間違いじゃないか?と思う。


でも、親の経済的支援がないと生きていけないから

出来得る限り波風たてないでいろんなことを我慢してきた。

(もちろん全部は我慢できないから時々反発したりもしたけど、核心については触れることはなく、いつも最後には私が折れて謝っていた)

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高校生の時に、

なんでそんなに義父さんと家族らしく、仲良くできないのかを母から聞かれて、

確執ができたきっかけについてはまだ辛くて

口に出せなかったけど、それ以外の部分は

泣きすぎて震えで言葉に詰まりながらも

なんとか話したことがあって、

その時に母の口から出た言葉が

「そんな事言うならあなたは私の子じゃない」と

「養ってもらってるのに嫌いだから仲良くできないなんて失礼すぎる」だった。


小学生の幼い私がどれだけSOSを出しても気付いてもらえなかったけど、

対話ができる今なら助けてもらえるかもとどこかで期待していたので、

その時の母の言葉を聞いて、この人は私よりも再婚相手の父が大事で

娘の気持ちなんてどうでもよいんだなと絶望した。


私も幸せな家庭がほしかったし、

母に祖父母から自由になって幸せになってほしかった。

自分の居場所が得られるとも思ったから

それまで暮らしていた鹿児島の祖父母の家を離れて沖縄で母と新しい父と共に暮らしたいと思ったのだけど、

暮らし始めて一年経って父が私にした行為がどうしても許せなくて、

大人たちが望むようには振る舞えなかった。

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昨夜、紅白を見ながら年越しそばを食べている時に母と口論になって、

12月のラインの件について初めて触れて

「何がそんなに不満なの??虐げられてきたってなんなの??」と怒鳴られたので、

この際だから洗いざらい話してみようと思って、

確執のきっかけがなんだったのかも、母から言われて傷ついてきた言葉についても全部伝えた。

その中で、母がこれまでに発してきた、

「産まなきゃよかったね」「私の育て方が悪かったね」「養ってもらってるのに」

といった言葉に傷ついて、こういった言葉はパワーバランスに偏りのある親子という関係の中で使うと虐待に当たるのだということを伝えたら、

「何度も言いましたか?」「親が簡単な気持ちでそう言う言葉を発すると思う?」

と言われて、一度でも子供に対しては言ってはいけないんだよと返したら、

「子ども子どもって権利を盾にして主張するのは卑怯だ!」

「ママだって沢山傷ついてきたのに子どもは親を責めることができて、全部親のせいにできて良いね!」と言われた。


親も勿論傷つくだろうし、私がいることで家族の仲に水を差してることも

申し訳ないとは思うけど、親は年も立場も経済的基盤も違うし、逃げられる自分の世界もあって、自由さが全く違うのに同じ土俵に立ってるつもりでいるのが信じられなくて唖然とした。


少し前にレスリングの川井梨紗子選手が、

石川県レスリング協会の下池会長からパワハラを受けていることを

告発したことがニュースになっていて、

取材に対して「俺の方がパワハラ、嫌がらせをされとるわ。

クビにすることもできるんだぞ。俺がその気になれば」と言っていて

これこそがパワハラなのに、何もわからずテレビで発言してて凄いなと思ったのだけど、

見事に私の母も同じだよね。

私のほうが人権無視されてる!育ててあげてるのに傷つけられて、もう養わないから勝手に一人で生きろということもできる!みたいな。

(親の言う通りにしないなら、勝手に1人で生きなさいは高校生の頃よく言われていた)


親は元来おかしな人だけど、病気や更年期障害で更にひどくなっていて、

と言うことは逆にそれらが落ち着いて、私が経済的に自立して親の元から離れたら、縁を切らずとも多少の我慢で、うまくやっていけるようになるかもしれないという淡い期待を抱いたりもしたけど、

口論の後母が祖母に泣きながら電話をして、

この電話を受けて祖母から

「お腹痛めて産んだ人が一番偉い」「血の繋がりに勝るものはない」という

お叱りの電話がかかってきて、

あーもう全部無理だと思った。

おばあちゃんが死ぬまでは、、とも思ってたんだけど、もう今逃げ出さないと私が死んでしまう、と思って

始発のバスで逃げ出してきて、空港でこれを書いてる。

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to my crazy mother, 産んだからって生殺与奪の権が自分にあると思うなよ!F**K!



カウンセリングを受けてきた話

先日初めてカウンセラーへ相談に行ってきた。

 

英ドラマの「SHERLOCK」の中で、

ジョン・ワトソンがカウンセリングを習慣的に利用しているのが印象的で、

いつか心が無理になったら行ってみたいと思っていた。

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ちょっと前に色んなことがあって、苦しくて

今だ!と思ってカウンセラーへ飛び込んだ。

 

予約まで期間があったから、最初に抱えていたいくつかの問題は許せるくらいに薄れていっていて、さて、どうしようかと思った。

こうなると目先に表れている話しやすい悩みではなくて、

奥にある核となる部分を話さなければならなくなる。

 

私は割と頻繁に気が沈む質で

夏は身体の疲れから気落ちするし、冬は冬季鬱になる。

一番酷かったのは高校生の3年間で、外からの刺激に過敏で、光も音も受け入れられない日が多くあった。

けれどなぜ困ってるのか、なぜここまで苦しいのかをどんなに信頼している人にも話せなかった。

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カウンセリングが始まると私はいくつかの問題について話した。

もやもやした思いを言葉にすると、カウンセラーの先生が整理して聞き返してくれる。

それをしばらくやっていたら、あ、今なら話せるかもしれないと感じて、少しずつ全ての大本になってるのであろうことについて吐露した。

 

私が話す内容に、カウンセラーの先生は驚いた様子で、短く口で息を吸った。

私が何かを言うたびに整理の為の質問をし、同意の相槌を打ってくれた。

そして、「これが正当な怒りなのかがわからなくて苦しい」と私が言うと「真っ当な怒りですよ。よくここまで頑張りましたね」と言ってくれた。

 

カウンセリングからの帰り、

誰にも言えなかった事が言えた喜びと、

私が悩んでいたのは、私がおかしかったからではないということがわかった開放感でとても楽になった。

他者に話せたと言うことは、もう他の人にも話せるのではと思ったけれど、

その後も話そうとすると身体が拒絶したので、

やはりカウンセリングを受ける空間で、カウンセラーが相手だったから話せたのだと思う。

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日本ではカウンセリングと言うと社会生活に支障をきたすほど心が壊れてから行くようなイメージがまだある。

でも、海外ではカウンセリングはマッサージへ行くのと同じ感覚で、疲れたらふらっと行くと聞くから、

もっと色んな人が気軽に行けるようになったらよいのにと思った。

 

ただ、まだ1回目で、今後通うことでの不安は色々とあるのでまた気が向いたら続きを報告しようと思う。

 

 

日曜モラトリアム

日曜日のデートあと、月を見上げて家へと歩きながら

今日がもっと続けばよいのにと思った。

一秒の長さが2倍になって時計が進むのがゆっくりになるとか、

他の日の時間を買って今日を長引かせられるとかそんな風に時間を操れたら。

最高すぎる一日をもっと引き伸ばして、退屈な月曜日の昼間と交換できたらどんなに楽しいだろうか。

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だけど、そんなことができたらみんなが日曜日を欲しがるから

日曜は無茶苦茶なインフレに、月曜日はデフレになって

結局一番余暇がほしいプアの民には手の届かない贅沢品になりそうだ。

むしろ貧しい民は収入のために全て売って時間がなくなってしまうんじゃないか

ってとこまで考えてそれじゃ今と変わらないなと思った。

 

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お金を得るために他者に資本として自分の時間を売って、

気がついたら自分の時間が残ってないってホラーだけど往々にしてあること。

そんなことをぼんやり考えながら今週の日曜日はおしまいにした。

 

好かれすぎること

私の友達に異様に人に好かれる子がいる。

目鼻立ちが派手な訳でも、スタイルが抜群にいい訳でもない、

どちらかと言えばおとなしめの今時ギャルといった感じの子だ。

私はその子と、友達が開いたパーティで同じテーブルになって知り合った。

出会って何日か後に二人でラーメンをすすりながらいろんなことを話して

なんで彼女に気に入られたのかはわからなかったけど、

私たちは仲良くなった。

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彼女はしょっちゅう人が好きだと言う。

そしてそのその通り人を惹きつける。

街を歩けばビラやティッシュは持ちきれないほどに渡され、

すぐにナンパされる。

彼女が面白いのは、ナンパしてくる人間に

怒るでも辟易するでもなく身の上話をさせて人生相談に乗ってみたり、

映画を見るために遠くの映画館まで連れ回してみたり

と自分の世界に引き込んで振り回してしてしまうのだ。

私はそんなびっくり箱な彼女の話を聞くのが好きでたまに会っては

積もる話を聞くのだけど、どこかずれてて面白くてハラハラさせつつも楽しませてくれる。

 

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人に好かれることで良いことは沢山あって、ヘマをしても許してもらえたりするとこはちょっと羨ましい。

けど悪いことも同じように沢山あって、その中でも一番深刻なのが

彼女が望む以上に周りの人に好かれてしまうために彼女が生き辛くなってしまうことだ。

本人は色んな人と仲良くなって色んな話を聞きたいと思っているのだけれど、

同じところにいるとどんどん彼女に好意を寄せる人間が増えていってだんだん人間関係がおかしくなってくる。

彼女を好きになってしまうのは男女問わずそうで、結果彼女は友人関係でも特定の人と親密な関係を築かないことにしたそうだ。

 

私はすぐに心を許してくれる(ように見える)ところや、めちゃくちゃ頷いて相槌をしっかり打って話を聞いてくれるところがきっと人を勘違いさせてしまうのだろうなぁと思うけど、どうしたら彼女が思うように生きやすくなるのかはわからない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

変わっていくこと

私が育ったのは写真をよく撮る家だった。

物心が着く頃には写真は日常の一部になっていて私もシャッターが押せるようになると写ルンですコンデジなどで家族や風景を撮って遊んでいた。

弟が生まれた年の誕生日に自分用のカメラを貰ったので何10枚何100枚の写真をとって弟の表情を全て収めようとした。

それは子どもが生まれた家庭では決して珍しいことではないのだけれど

11歳年の離れた弟に夢中だった私は弟が幼稚園に上がっても毎日写真を撮り続けた。

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ある時弟の写真を見返していて

懐かしいという暖かな気持ちではないものが湧いて苦しくなってしまった。

いつまでも子ども、赤ちゃんのままでいてほしいという気持ちが先行し子どもの

目に見えてわかる成長が受け入れられなかったのだ。

これはまぎれもない支配欲だったけれど、もうそう思うようになってしまってからは変わってしまうことが受け入れられなくなった。

今思えば撮っていたのは見返すための写真ではなくて記録するための、留めるための写真だったのだろう。

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その頃の私はとにかく変わってしまうことそして忘れてしまうということに

とてつもない恐怖を感じていた。

だから写真もあらゆる場面で撮るようになっていたし、

記録のための日記をつけ、録音までしていた。

ただいくら写真をとっても日記をつけても会話を残しても虚しさは変わらなかった。

多分いちばん留めたかったのは、日々の出来事ではなくて

その時その時の感情や感覚的なところだったのだと思う。

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どうしたって人は変わっていくし、戻れない。

4年近く日記をつけて結局なんの意味もなかったのだということに気がついて全て辞めた。

留められないのなら今だけを見ておけばいい。変化が怖いなら昔のことは忘れてしまえばいい。比較さえしなければいつだって今が正しい。

今だけを考えるようになると杞憂しない分、身軽に動けたりする。

過去も未来も考えすぎると良いことはない、春が終わり夏が来て短い秋が去り気がついたら冬が来ているそれだけのことだ。

そういう当たり前のことがわかるようになってきたから変わっていくことは面白いと思う。